資産は基本的にはそこにある「モノ」です。土地も、建物も、クルマも、PCも、目の前にあるものは遍く資産です。必ずしも換金可能でなくても、価値ゼロの資産や、負の資産もあります。
資産価値の保持という目線で、建物やクルマや腕時計をメンテナンスし、機能を保持し、売却時には1円でも高値で、というのは資産オーナーの立場や気持ちからすれば当然です。
一方で、資産の本質的な意味として、それを保有・また活用する事で、オーナーまたは関係者が得られる体験の価値が挙げられます。これは一般的には無形ですが、有形そのものよりも価値の本質に近いものです。
ブランド性の高い土地に建物を所有し、居住する事で満たされた気分となり、希少性のあるアクセサリーを身につける事で所有欲が満たされたり、イメージが湧きやすいのではないかと思います。
資産はそれを保有する事が目的であったり、活用する事が目的であったり所有目的は様々ですが、特定・不特定の誰かに利便や利益、付加価値を提供するという事については同じだと思います。損をするために何かを購入するというのは動機としては稀だと思いますが「派手に損をする」という体験をしたい(それに価値があると考えている)がためにそのような行為を行うことは想定できますし、おかしいとも思いません。
難しいのは、同じ資産であっても、個々人がそれによって体験出来るものが異なるという事です。価値を見出すか見いだせないかという、個人的感覚や価値観に依存する点はもちろんの事、所有した後の使い方も、所有者の意向一つで変わってしまうからです。ややこしい書き方をしましたが、価値を認める人はそれを高く買い、認めない人は安く買う(もしくは買わない)のです。これは実はセンシティブな事で、大多数が価値を認める事をしない(もしくは敢えて放棄)すれば、そのモノの価値は激減し、無価値になりかねません。
そのモノ自体の価値を希求することは「価値の幅」を狭めてしまう結果になりかねず、そのような意味でそのモノから「派生する」価値をどれだけ一般化・汎用化出来るかという点も、考察する必要があります。
「体験型価値」というのはまさにその事を示しています。例えば高級時計自体には見向きもしない人がいたとしても、ある特別な日に高級時計を付けて高級レストランで食事をする、という体験には価値を感じるかも知れません。価値のレイヤを変える事により、そのモノの価値も再認識される可能性があります。
資産に向き合う際には、この資産で何が出来るか、どのような可能性を内包しているかをとことん考えてみるのも有効なアプローチであると考えます。